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ビットコインはそもそも、匿名ではない

前編:ビットコイン取引調査会社Chainalysis、規制当局と連携図る

ビットコイン取引の匿名性は、一般ユーザーにとってみればあまり重要でなく、現金やクレジットカードのように使うことができればいいというのが通説だ。もっとも、誰かに購入情報を監視されているということは、誰からしても気持ちのいいことではないため、現金のように匿名性のある交換媒体のほうが好まれる。

結局のところ、規制当局や金融機関にとってのビットコインの問題というのは匿名性の高さではなく、ビットコインをあまりよく理解していないがために過剰な恐怖心を抱いてしまうという点に尽きる。ビットコインには現金のような匿名性はなく、技術原理としては現金とクレジットカードの中間に位置するシステムであるし、ホワイトペーパーの中でもビットコインの匿名性に触れた記述はない。サトシナカモトは、中央集権機関に依存しない分散技術に基づいた通貨システムをつくりたかっただけだ。

ビットコインは現金と同じように、一度流通してしまえば疑いのある本人と紐ついた銀行口座を経由しない限り止める術はなく、現金と同じように、一度不正に奪われてしまったビットコインは取引が行われるたびに分散していく。しかし、ビットコインの取引は公共の取引元帳であるブロックチェインの上にすべて記録されている。過去の膨大なトランザクションデータを解析すれば、どのアドレスからどのアドレスへと遷移しているかは丸見えにできる。これは、金融機関がビットコインに求める要件の少なくともひとつは満たす要素であろう。

Chainalysisはこのような役割を担おうとしている。しかし、いずれは民間でなくともNSAやCIA、GCHQなどが独自に監視システムを構築していただろうし、時間の問題だった。もしかしたら、既に構築しているのかもしれないが。

 

匿名性の終焉

これは、リバタリアニズムに燃える人々や、アナーキストにとっての桃源郷が失われたことと同義なのかもしれない。

ビットコインコミュニティに属する人々は、多くの場合、意識的・無意識的であることを問わず、リバタリアンのような思想へと傾倒していく。これは、サトシナカモトが生み落とした夢の技術がーーー分散的なネットワークに支えられたブロックチェインの集合的無意識がーーー人々の心理に、深く、緩やかに作用していく過程である。

いいことなのか、悪いことなのかは、誰にもわからない。ビットコインは単純に、金融機関の時代遅れのシステムを24時間365日休まず決済できるよう改修するために莫大な資金を投じることなく、安価なコストでそのインフラプロトコルを構築できる。ビットコインのブロックチェインという技術は、インターネットに繋がってさえいれば、資産をアフリカに、ブラジルに、北極に、月にだって、ほんの一瞬で、たったの数円で送信することができる。

このような技術的背景があるため、人々は純粋にビットコインの技術は素晴らしいと手放しに褒め称え、現存の中央管理機関に制御された非効率なシステムに対して懐疑的になっていく。JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンCEOはビットコインの政治的な思想に問題があると指摘したが、それはある意味で正しい。自由市場経済の究極ともいえるビットコインのエコシステムは、伝統的な国家の枠組みを一瞬にして破壊してしまう革命を起こしかねないからだ。

中央管理型のシステムは、効率的でない。なのに選べない。自由がない。

これは、リバタリアニズムに関係なく、インターネットを利用する人々が国政選挙投票をインターネット上でなぜできないのかと嘆くのと同様に、世の中で普遍的に起こっていることだろう。ビットコインの技術に傾倒していけば傾倒するほど、中央管理の非効率なシステムにうんざりしていくという、ごく自然な欲求なのである。

私はリバタリアンではないし、むしろ、規制を望んですらいる。ビットコインの導入障壁という点については、イメージによる問題が大きく、この点を、政府が正しい知識をもって法的枠組みを策定することで、テロリズムとアナーキズムによって支配されたイメージを払拭し、一般消費者に安心感を与えられると考えている。Chainalysisのような企業の出現は、だから、私は歓迎している。

しかし同時に、ビットコインの匿名性 -狭義のリバタリアニズム- は終焉を迎えるだろう。

 

ビットコインは”選択”だ

これまでさんざん言葉を重ねてきたように、ビットコインの匿名性が失われることに私はそれほど抵抗がない。なぜなら、ビットコインの基本的な機能は人々に多くの新しい「効率的な仕組み」を提案し、多くの選択肢を与えるであろうからだ。

次に紹介するのは、サトシナカモトファンクラブ「ハイエクとビットコイン」の一節である。

“携帯が年々使いやすくなっていくのは、人が自分の使う携帯を選ぶことができるからである。それぞれの人がそれぞれの価値観に基づいて携帯を選択することである種の集合知が形成され、結果的にクオリティーの低いものが淘汰される。

一方、僕達は自分の使う通貨を選ぶことができない。パン一切れにカバン一杯のお札が必要になるような酷いインフレが起こったとしても、他の通貨に移ることはできない。どんな酷い失敗をしても、中央銀行は淘汰されない。”

続けて、彼はこう述べている。

“通貨の選択権がないということは、通貨というシステムにフィードバックが存在しないということを意味する。フィードバックの無いシステムは進化しない。政府が貨幣を発行すること自体が悪いのでのはなく、政府が貨幣の発行権を排他的に独占していることが問題なのである。”

少数の人々に支配されるシステムが長く続かないということを、歴史は証明している。たとえどんなに優れた人物であっても、常に正しい答えを出すわけでない。これが複数人であったとしても、必ずどこかで致命的なエラーを発生させてしまう。この問題は、数百万、数千万人の要望を、少数の普通の人間にすべての権限を委任し、決定させる責任と重圧を与えてしまうことで発生する。彼はそれを「全知全能性によって装飾された人間的限界」と呼んでいる。

ビットコインはこのような仕組みに、ネットワークの集合知をもって、一石を投じようとしているのだ。集合知はときに衆愚と化すが、それは影響力のある人物のバイアスを受けてしまった結果であり、多くの場合、ミクロの集合体である集合知による予測は、限りなく普遍的かつ正しい解を導き出す。これはジャックトレーナー教授の「ビンの中のジェリービーンズ」実験や、統計家ネイト・シルバーがビッグデータから分析した米大統領戦の投票予測からも、その圧倒的な有用性が裏付けられているといっても過言ではないだろう。ビットコインがやろうとしていることは、このような集合知の有用性を通貨や、よりマクロで見た経済のエコシステムにも適用せんとする実証実験である。

だから、ビットコインの信奉者がリバタリアンであるとかリバタリアンでないとか、サトシナカモトがリバタリアンだったとか、そんなことはどうでもいい。重要なのは、誰にも規制できないビットコインという技術がこの世に生まれ落ち、決済通貨として、価値があって利用できるという唯一無二の事実だけなのだ。これがクライアント・サーバー方式のデジタルマネーであれば、簡単に規制されて終わっていただろうが、ビットコインは分散的なシステムであるため、一度ネットワークが稼働してしまえば誰にも止める術はない。止められるのは、超巨大隕石か、太陽風だけだろう。

ビットコインとリバタリアニズムは、そもそもが相性の悪い組み合わせなのではないだろうか。私がビットコインに期待しているのは、ワクワクする新しい選択肢なのであって、それはリバタリアンの思想ではなく、もっと普遍的な欲求なのだ。

この記事を書いた人

ざきやま(山崎大輔)
ざきやま(山崎大輔)from Cryptocurrency world
ビットコイン専門記者 BTCN編集長
ブロックチェインの可能性を、知的財産の保護やゲーミングカルチャーへ応用できないかと考えてます。
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